マインド・思想哲学

苫米地英人氏が語るエフィカシーをめっちゃ感覚的に語ってみるやつ

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どうも、滝沢(@)です。

今回は「苫米地英人氏が語るエフィカシーをめっちゃ感覚的に語ってみるやつ」というタイトルでお送りいたしまっせと。

▶︎アファメーションは意味ないのか?そのメカニズムと正しいやり方

こっちの記事で「アファメーションばっかしても何も人生進まへんやで」という話をしたばかりですが、とはいえ内部表現書き換えのメカニズムやセルフコーチングの技術というのは、これから突入するであろう大メンタルヘルス時代においては特に、それこそ義務教育にしたほうがいいんじゃないかとさえ思うほどに大事になってくる、そう確信しているわがはいであります。

脳と心、いわば自我とはなんぞや、それを学ぶこと自体がそもそもおもろいですし、それによって自分の脳と心の操縦方法の大ヒントが得られるわけですから、極めて実学的であると思うわけです、人生的に考えて。

中でも今回のテーマは、このブログでも頻出概念であるエフィカシー。

いつもの苫米地氏研究&解説系の理屈っぽい記事とは趣向を変えまして、わがはいらしい感覚的な切り口でお送りしたいと思いますw

それではまいりましょう。

苫米地英人が語るゴール達成のためのエフィカシーとは

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エフィカシーとは何かについては、

▶︎ドリームキラーとは?苫米地英人の用語を超絶分かりやすく解説

こちらの記事を読んでいただければなと思うんですが、一言で言えば、

ゴールを達成する達成能力の自己評価

のことです。上の記事でも解説しましたが、エフィカシーを理解する上での大事なポイント、多くの方が勘違いしているポイントというのが、

・自己評価ゆえ他人からどう思われているかは一切関係がない
セルフイメージと違って過去の経験や実績も一切関係がない

この2つです。ゆえに、

「自分の性格的に考えて…」
「これまでの人生的に考えて…」

をしてしまった瞬間に、それはもう“定義上”エフィカシーではありません

「そんなん言われたら余計に分からんくなってきた…」
「とはいえエフィカシー高い人と低い人いますやんか」

と思う方もいるかもしれませんが、ここから更にわがはいらしくいきましょう。

元から全員、あなたも私も、エフィカシーは死ぬほど高いのです。

生まれつきエフィカシーが低い人なんていません。誰かと比べて高いとか低いとかもありません。低いように感じるならば、それはそう思わされてるだけ。今この瞬間も、あなたのエフィカシーは死ぬほど高いのです

「もっと意味分からんくなってきたんですけどww」

と思われる方もいるかもしれませんが、ごめんなさい。一旦置いてけぼりにしますねww

もっと核心に迫りましょう。

「俺は絶対にゴールを達成できるに違いない!必ず達成するんだ!」

これ、エフィカシー低いです。本来あなたが持っているエフィカシーはこんなものではありません。

中村天風氏的に言うならば、万物の霊長たる人間が、こんなに信念弱いわけがないのです。

要は、できるとかできないの話ですらないのです。

例えば、

「今日はラーメン食べたいなあ」

と思ったとして、できるとかできないとかいちいち考える人はいません。食べたいなら食べるはずです。

朝起きて、いつものように洗面台に向かい、

「今日は歯を磨けるかなあ、うん、磨けるぞ。」

なんて考える人はいません。磨くから、磨くのです。

正常なエフィカシーの感覚というのは、これとほぼ同じです。

自分のゴールがあったとして、それがどんなに遠くにあろうが、周りから何と言われようが、過去にどんな手痛い失敗をしていようが、関係ありません。

やったら、そうなる。
なんならもう、そうなっている。

そこに“可能性”という概念すら存在しないのです。

「もしもこうなったら…あるいは選択を間違えたら…」

そこにはそんな思考や発想すらありません。

「100%できる」みたいな相対的な話ですらありません。絶対です。

「絶対」という言葉を使うのがおかしいくらいに、絶対です。

避けたくても避けられない」みたいな表現のほうが近いでしょう。

それほどまでに信念が強い状態。これが、正常なエフィカシーの感覚です。

でもさすがに(そうは言ってもやはり)、なかなかそうは思えない人の方がほとんどです。

今こんな偉そうに書いてるわがはいも、これまでこの感覚を1万回以上は忘れてきました。忘れたことさえも忘れてきましたwwこれからも1万回以上忘れることでしょうwww

でも、1万回ダメでへとへとになっても、この感覚は“何度でも”思い出すのです。いや、思い出さなければならないのです。

エフィカシーを上げる必要性と方法を抽象的視点から

エフィカシーを上げる必要性と方法を抽象的視点から 画像

正常なエフィカシーの感覚、なんとなく伝わりましたでしょうか?w

とはいえ、現代社会においてこの感覚をキープするのは激ムズです。

ただし、このブログ的には、

「是が非でもこの感覚を取り戻していきましょうぞ」
「何なら周りの人のエフィカシーも上げまくったろうやないかい」

というスタンスを正義としているわけでありまして、つまりはこの感覚を思い出す、あるいはキープする術をお伝えしていきたいということで、以降そんな話をば。

そもそもなぜ現代社会において、この感覚をキープするのが激ムズなのか。あるいは思い出せないのか。

原因は大きく分けて2つあります。

努力や成功の概念に囚われている

エフィカシーという概念は、ゴールがあって成立するものです。つまり、ゴールを間違っている場合、このエフィカシーは正常に機能しません。

例えば、さっきのように「あなたはなんでもできまっせ」みたいな話をすると、

「じゃあ私は今からアメリカ大統領になれるんですか!?」
「じゃあ俺は今から大谷翔平以上の野球選手になれるんですか!?」

みたいな屁理屈を思い浮かべる人がいます。かつてのわがはいですねww

言い負かしたった!と思いきや残念なことに、アメリカの大統領にも、大谷翔平以上の選手にも、今からでも、なれるのです。

ただし、あなたが本当になりたいのであれば。

これがポイントです。

なりたくないんです、だからならないんです。

ここめちゃくちゃ重要です。

多くの人は、自分のゴールや夢、目標を持っているつもりかもしれませんが、そのほとんどは他人から植え付けられたゴールです。

「年収3千万円プレイヤーになって贅沢な暮らしがしたい!」
「誰もが羨む超絶美女と結婚して幸せな家庭を築きたい!」
「こんな能力を身につけて周りから凄いと言われたい!」

分かりやすい例ですが、こんなものは本当のゴールではありません。あなたにはもっともっと大きいゴールがふさわしい、という意味です。

こんなものは、誰かを見て、羨んで、あるいは妬んだ結果。周りと比べて、遅れを取りたくなくて、あるいは優位に立ちたいと思った結果でしかありません。

「私もこんな人みたいになりたいなあ」
「俺もこんなライフスタイルがいいなあ」
「あの人みたいな人生を送りたいなあ」

こういう発想から生まれるゴールは、全て他人から植え付けられたものです。答えを外側に探しに行った結果です。

だから、そのゴールに対してのエフィカシーはどうしても低くなります。だって本心はなりたくないんだものw

とはいえ、誰でも一度とは言わず二度三度、こういう発想になったことがあるはずです。こういう発想をえげつなく加速させてくるのが資本主義だからです。

人類が物質的な不足に悩む時代は終わりました。少なくとも先進国において、もはや今日明日の生活を脅かされることはありません。これは資本主義による大いなる恩恵です。

でも裏を返せば、新たなニーズ(=悩み)を生み出さなければ、経済活動は停滞してしまうわけで、そのいわば“歪み”のようなものを生み出すことで金を回しているのが、今の資本主義なわけです。

資本主義はいまや“慣性の法則”で維持されているだけ。ほっといても20年も待たずして終わります。

でもこれまた裏を返せば、今後20年はこの歪みが何らかの形で破裂するまで膨らみ続けることを意味すると。

だから今の時代、先進国に住んでる我々は特に、

「やりたいことが分からない」
「夢とか目標が見つからない」
「自分が何者なのか分からない」

自分が本当はどうなりたいか、どんな人生を歩むのかなんて、自分が世界で一番知っているはずなのに、それが分からないなどと意味不明なことに悩んでしまう。いや、悩まされているのです。

物質的に豊かだから。つまり暇だからです。

SNSやYouTubeを見ては、誰かのライフスタイルや価値観に触れ、謎に刺激を受けてはダメージを負ってみたり、時には憧れてみたり。
占いや心理学のようなものを学んでみては、自分を勝手にカテゴライズして自己分析した気になってみたり、自己肯定感上がったと勘違いしてみたり。

どう考えても、暇なのですwww

でもどう考えても、こんなことしてる人間が、自分らしい人生など歩めるわけがありません。自分の人生やそのゴールは、着せ替え人形みたいに選ぶもんじゃないからです。

自分がどんな人生を歩むのか、歩みたいのかは、自分の内側に答えがある。にも関わらずそれを忘れているのです。

・自分はどの方向に向かって進んでいけばいいのか
・自分は主体的に何に取り組み、今何に集中すべきなのか
・自分は主体的にどうやって社会と関わっていけばいいのか

その自分の人生の流れ、あるいは自分の強みや優位性を見失っている。

そのせいで、なりたくもないものを目指し、怖がりたくもないものに怯え、憧れたくもないものに憧れ、自分の流れとは異なる方向に進み、だからこそそれは非効率な努力となり、いつまで経っても目標は叶わず、勘も働かなければ運も悪い、しっちゃかめっちゃかな人生になっていく。

なんかボロクソな言い回しになりましたがw、これこそが正常なエフィカシーの感覚を思い出せない根本原因の1つ、というわけです。

脳内にえげつないゴミが溜まりまくってる

そんな現代社会を生きる我々の脳には、ゴミが溜まりまくっています。それだけ外的情報が多すぎるのです。

言葉が生まれ、文字が生まれ、活版印刷が生まれ、新聞や雑誌が生まれ、ラジオやテレビが生まれ、インターネットが生まれ…

という、ながーーい人類の歴史を考えてみると、ここたった100年での情報伝達速度、あるいはその量は現在進行形でえげつないインフレ中です。

産業革命からエネルギー革命まで150年以上のスパンが空いてるのに、最近情報革命が起きたかと思いきや、もう近い将来AI革命が起きようとしてる。どう考えても加速しまくってます。

そもそも人間は情報の入れ物なわけで、苫米地氏的に言えばこの世界は情報空間なわけで、つまりこの宇宙は情報でできているわけで、というか脳が情報処理した世界を我々は生きているわけで、もはや人間に扱えないレベルの情報量・速度にどんどん近づいている今、AIがそれを担おうとしているというのは当然の流れなわけで。

何が言いたいかというと、脳の情報処理が追いつかなくなってる人がどんどん増えている、そしてこれからもどんどん増えていくのです。

これは極めて個人的な意見ですが、夢や目標を他人に植え付けられるなんてまだ可愛いもんで、今後はメンタルを病んだり、うつ病だとか自殺だとかそういう人がどんどん増えていく流れにあると思ってて、それも大量の情報を浴びた結果なんだろうなと。

ちなみに、現代人が一日に触れる情報量は、江戸時代の一年分、平安時代の一生分とも言われてます。

もしも平安時代の人が現代に転生したら、一度に情報浴びすぎて爆発するかもしれませんwww

でも、我々は紛れもなくそんな時代を生きているのです。

だからこそ、脳内デトックス的なスキルや習慣はこれから益々重要になってくるはずです。中村天風氏が語る“観念念要素の更改”がそれですね。ただし、天風氏は100年前の時代を生きた人ですから、これだけでは足りないと。

だからわがはいは、

・人生のログ取り
・感情の外部化
・思考のアウトプット
・習慣化と環境設定

を激烈にオススメさせて頂いているわけです。

これのヤバいところは、

「あー確かに、そうやってメンタル病む人いるよねー」
「脳にゴミ溜まって浅い思考しかできない人いるよねー」

そうやって「自分はそんなことない」と思ってる人ほど、普段から感情に左右され、まともな思考も働かず、他人の価値観に振り回されてる張本人だということです。

あなたのこと言ってるんですよ?

…というね、急に怖い話みたいなオチにしてみましたけどもww、でもログ取りやら思考のアウトプットしてないんだったら相当怪しくはあります。

正常なエフィカシーの感覚を思い出せないなら、まあ間違いなくそうでしょう。

というわけで、みんなで一緒にもっと中村天風氏が語る心身統一法を実践しましょう!w

まとめ

苫米地英人氏が語るエフィカシーをめっちゃ感覚的に語ってみるやつ まとめ 画像

中村天風氏の回し者みたいな最後になってしまいました。

正常なエフィカシーの感覚と、現代社会においてそれを維持することの激ムズさ、伝わりましたでしょうか?

というわけで、今回は以上となります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!